愛の巴投げ無節操で無責任な映画レビュー

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | - | posted by スポンサードリンク -
ある子供 22:50
評価:
Amazonおすすめ度:
僕にとっては・・(感想)
痛みを知ること、やさしくなること。
成長を感じさせる結末
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、2005年に公開された本作。
監督はジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟。
『ロゼッタ』にも『息子のまなざし』にも乗れなかった私ですが、本作でよくやく“部分的に良い”と感じることが出来ました。

がしかし、やっぱりあの撮影技法、演出手法には釈然としないものがありますねぇ。例えば小部屋に置いた子供がしばらくすると現金に変わっているという場面には背筋の寒くなるような効果が宿ってはいるのですが、そうであるからこそ要所要所に限定すべきではないのでしょうか。

このラフなカメラワークというのはクリストファー・ドイルなんかとは全く意味合いの違うものですからね。おそらく人間の深部を炙り出すことを希求した結果、辿り着いた技法なんでしょうけれど、だったら初めからそこいらのろくでなしを見つけてきてドキュメンタリーを作ればいいじゃないかとも思うわけです。何故わざわざフィクションにこだわるのかと。

半径20メートルの日常を描くにしろ、宇宙人の来襲を描くにしろ、重要なのはリアリズムを形成するためのフィクションではなく、フィクションを形成するためのリアリズムなのですから、ダルデンヌ兄弟の方向性は本末転倒も甚だしいとさえ感じるのです。

ラース・フォン・トリアー監督らが主導するデンマーク発祥の“ドグマ95”という劇的な映画技法を放棄する運動があります。それはスタジオ撮影を禁じていたり、効果音やBGMを禁じていたり、カメラは手持ちに限定されていたり、等々。

ダルデンヌ兄弟がこのドグマ95を意識しているのかは知りませんが、この禁欲さは個人的には不毛な行為だと思いますね。それよりも彼らがドキュンメタリー出身であるという経歴に大きな要因があるのかもしれません。そうなると当ブログでたびたび指摘している是枝裕和監督や河瀬直美監督への疑問が再び頭をもたげるのですが、彼らが何故フィクションに執着するのか、どうにも合点がいかないのは私だけでしょうか?
| 映画 ア行 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by helmetbros -
スポンサーサイト 22:50
| - | - | - | posted by スポンサードリンク -
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://untruthdiary.jugem.jp/trackback/34
<< NEW | TOP | OLD>>