日本未公開でビデオスルーされた本作。
発表されたのは2001年、監督は『息子の告発』や富田靖子さんが出演されていた『キッチン』などで知られるイム・ホー。主演はなんとウィレム・デフォーとルオ・イェンという中国人女優さん。しかもこのルオ・イェンさんが脚本と製作も兼ねるという八面六臂のご活躍なんですね。
ストーリー
1938年、日中戦争が激しさを増していた中国。その日は、国内でも指折りの名家に嫁いだウー夫人の40回目の誕生日。ところがこのおめでたい日に、ウー夫人はある重大な決断をする。彼女は、すっかり冷え切り、封建的な関係だけが存在した夫婦関係に見切りをつけ、18歳になったばかりの若い娘を夫の第二夫人として用意すると、自分は夫の束縛から自由になることを選ぶのだった。やがて、ウー夫人は息子の英語教師として雇ったアメリカ人宣教師アンドレの優しさに触れ、いつしか恋に落ちるのだったが…。
(allcinema onlineより)
なんでしょう……、二夜連続おばさまのロマンスを観せられると(って自分でセレクトしているんですが)、もう勘弁してくれと言いたくなります。私はDVDやビデオで映画を観る際、冒頭30分程度で作品の善し悪しを判断し、律儀にその先も付き合うべきかどうかを考えます。そこで“否”との脳内指令が下されたなら、直ちに作品は早送り乃至スキップの刑に処されます。
だって、時間が勿体ないですからね。
この作品は無論、“否”。
原作はパール・バックの小説なんですが、どの程度改ざんされているのでしょうか。まず、人物造形の掘り下げ方が実に甘い。紋切り型とも呼べない代物なんですね。夫は常に横暴で威丈高で、夫人は常に被害者(観る側にはそう映らなくても製作サイドはそのつもりという意味で)、アメリカ人家庭教師はそんな夫人のよき理解者です。
しかしながら、自立心ばかり強く一人では何も出来ない分不相応で身勝手なこのウー夫人に、一体だれが感情移入できるのでしょうか。問題は感情移入出来る出来ないの話ではなく、制作者サイドがその点に無自覚である、という脇の甘さにあります。仮に主人公が極悪非道な殺人者であってもそれは変わらない。
まして物語としては王道とも言えるラブロマンスの類です。プライドばかり高く言行不一致な40過ぎのおばさまの恋を扱うのだとしたら、せめてお灸をすえる展開を、と期待したのですがそれも叶わず……。
決定的なのが日中戦争という、後付けのような設定がまるで意味を成さないこと。物語を悲劇に誘導したいだけの装置でしかないんですね。こんな映画で日本が悪者にされたんじゃたまりません。ここで日本軍は顔のない恐怖の対象という扱いなんです。
それだけなら百歩譲ったかもしれませんが、明らかな非戦闘区域である本作の舞台で日本軍は蛮行の限りを尽くすのです。強姦、強奪は言うに及ばず無差別殺人と形容してもいいほどの非道っぷり。
アイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』が映画化されるのかされたのかよく知りませんけど、悲劇の道具として日本軍を扱っている本作のほうが、無邪気である点において悪質かもしれません。
“楽園”というのはルオ・イェンさんの頭の中の話でしょうか。
ウィレム・デフォーということで後半の裏切りに期待したのですが、そんなわけありませんでしたね。イム・ホー監督も変なおばさまに絡まれちゃったなぁという感じで、『プラトーン』ごっこに走ったのかもしれません。