愛の巴投げ無節操で無責任な映画レビュー

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パンク侍、斬られて候 19:31
評価:
Amazonおすすめ度:
うそつき野郎を、滅ぼしたい
圧巻腹ふり党
さすがの切れ味
テリー伊藤氏や吉田豪氏が喜びそうなニュースが飛び込んできましたね。
布袋寅泰VS町田康。
まさにパンク侍を地で行く無頼派。すべからく男たちはこうあるべきでしょう。
世知辛いご時世にあって久々に心温まるニュースです。

筒井康隆以後、あるいは高橋源一郎以後のポストモダン文学のメシアの如く、90年代後半に颯爽と現れ、依然として文学界を牽引する小説家・町田康。本作は時代小説の“純文学化”を試み、またそれに手ごたえを得て、大傑作『告白』へと繋がっていく重要なターニングポイントとして位置付けられることと思われます。

随分前に読んだので細部まで記憶していないのが残念ではありますが、軽妙洒脱な文体(伊坂幸太郎氏のような野暮ったさとは明らかに一線を画す)は健在で、且つ著者としては珍しい三人称よる語り口も地に足が着いた巧者ぶりが発揮されており、その未だ底知れぬ文学モンスター加減に敬服した覚えがあります。

それにしてもあのユーモアセンスというのは何物にも代え難い魅力がありますね。関西人的ながさつさとある種の気品と自己愛が絶妙な塩梅で配置され、独特の可笑しさを毎度提供してくれます。文学界のみならず、映画界を見渡してもこうしたセンスの持ち主というのはちょっと見当たりません。私が不得手とするクドカン、堤幸彦、三木聡という三大コメディメーカーとは対極に位置するユーモアです。

布袋氏もまたそのトラブルメーカーぶりが清々しい。対YOSHIKI、対保坂戦は有耶無耶に終わっていますが、今回ばかりは災い転じて福と成すとばかりにステージ、あるいはリングの上で決着をつけて、ゆくゆくは最強ミュージシャン決定戦でもテリー伊藤氏に企画していただきたいと切に願います。
勿論、リポーターには浅草キッドを起用していただいて。



| 文学 | comments(0) | trackbacks(1) | posted by helmetbros -
子猫が読む乱暴者日記 21:59
評価:
Amazonおすすめ度:
絶望はひたむきに向き合うためにあるんじゃない
憎悪が背景にあるのになぜか心地よい小説
ショートショートと言うのでしょうか、非常に文章量の少ない作品群が収められた本書。映画ファンならば『週刊SPA!』や『文學界』誌上における評論家としての顔はお馴染みでしょうが、“文学村”でも中原氏は八面六臂のご活躍をされています。

中原氏は処女作『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』以来、一貫して文学の物語性を破壊し、ぶっきらぼうを装いつつも逆説的に文学と真摯に向き合ってきた作家であり、賛否あれど世間でもそのような評価がされてきたことと思います。

今、この作品について一体なにを語ればいいのか非常に悩み苦しんでいるのですが、私が彼の作品になにを感じ取っているのかを、まずは正直に告白してみましょう。それは“笑い”です。それも非常に嗜虐的な、不謹慎な笑いです。共通言語を持つ者だけに許される、ある時は人を小馬鹿にし、ある時は自分を卑下しながら口元を手で覆い隠し、クククククとほくそ笑む、反社会的ないやらしい“笑い”。

その斜に構えた暴力的な態度は時に切れ味鋭いのだけれど、反面、幼稚の一言で片づけられてしまう危険性も孕んでおり、社会に出た一般的な大人が本来許されるべき態度ではないのかもしれない。とは言え、中原氏の場合、妙に処世術に長けたところがあり、そこがただの偏屈者とは一線を画しているのでしょう。

さて、そろそろ本書の内容に触れてまいりましょうか。
中原氏を知らぬ人ならそのタイトルにまず面食らうことでしょう。
表題作『子猫が読む乱暴者日記』に始まり、『十代のプレイボーイ・カメラマン かっこいい奴、うらやましいあいつ』『デーモニッシュ・キャンドルズ』『闘う意志なし、しかし、殺したい』『黒ヒゲ独身寮』『欲望ゴルフ ホール・イン・ワン』『貧乏だから、人間の死肉を喰らう』。

いかがでしょう?もうこのタイトルだけでお腹いっぱいになりませんか?
私の読み方は、これらを書いている中原氏を想像しながら、その本音らしきものが露呈する瞬間や分裂病患者じみた展開に一喜一憂しているのですが、いわゆる“良い読者”ではないのかもしれません。しかし面白いのだから仕方がない。

SPA!で連載中の『エーガ界に捧ぐ』だって一番面白かったりするのが呪詛めいた石原慎太郎都知事への暴言や、自身の不遇を嘆くくだりだったりするのだから困りものです。

要するに中原昌也という人そのものが一つの表現媒体として完成の域に達しており、極端な話もう何をやっても程度の差こそあれ“中原昌也”なんですね。で、大抵の場合それは面白い、と。

例えば表題作『子猫が読む乱暴者日記』のこんなくだり。
“「俺は今まで誰にも無視されたことはねえんだ!」
山田の拳が飛んできた。
「止めろ!」と俺は叫んだ。
それ以来、俺と山田は友達になった。”

もう意味が判らない。私はここで吹き出しました。
終始こんな調子で、それが『うわさのベーコン』(猫田道子著)みたいな天然ではなく、意図的に構築されているという事実に戦慄すらおぼえる。

どんどん行きましょう。
『十代のプレイボーイ・カメラマン かっこいい奴、うらやましいあいつ』から。
“毎日絵を描き、ギターを弾き、ノートに自作の詩を書き溜め、夜空を天体望遠鏡で観察し、パジャマを着て寝る前には必ず『一日二十四時間じゃ足りないんだ』とつぶやいて壁を殴ったり蹴ったりしていた。”

これって完全に山田かまちを揶揄してますよね。

さらに『『闘う意志なし、しかし、殺したい』のラスト。
“無意味な争いも、憎しみで精力を消耗するのもバカバカしい。もともと人間はそんなことに参加しなくとも、常に身体にも心にもある種の痛みを感じている。その苦痛を乗り越えて、新しい意識を作り出せ。”

この白々しさったらたまらない。こんな投げ遣りに結ばれた小説はなかなかありませんよ。仮にも自分の作品なんですから、それ相応の愛着はある筈なのに、こんな乱暴に終わらせるんですから、並大抵の覚悟じゃなきゃとても真似出来ません。

もう枚挙に暇がないのでこのへんにしておきますが、事象に対するアプローチの仕方こそ違えど、どこか寺山修司さんの系譜に連なるような気が個人的にはしています。
この説にあまり自信はないけれど。
| 文学 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by helmetbros -
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