|
評価:
Amazonおすすめ度:
絶望はひたむきに向き合うためにあるんじゃない
憎悪が背景にあるのになぜか心地よい小説
|
ショートショートと言うのでしょうか、非常に文章量の少ない作品群が収められた本書。映画ファンならば『週刊SPA!』や『文學界』誌上における評論家としての顔はお馴染みでしょうが、“文学村”でも中原氏は八面六臂のご活躍をされています。
中原氏は処女作『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』以来、一貫して文学の物語性を破壊し、ぶっきらぼうを装いつつも逆説的に文学と真摯に向き合ってきた作家であり、賛否あれど世間でもそのような評価がされてきたことと思います。
今、この作品について一体なにを語ればいいのか非常に悩み苦しんでいるのですが、私が彼の作品になにを感じ取っているのかを、まずは正直に告白してみましょう。それは“笑い”です。それも非常に嗜虐的な、不謹慎な笑いです。共通言語を持つ者だけに許される、ある時は人を小馬鹿にし、ある時は自分を卑下しながら口元を手で覆い隠し、クククククとほくそ笑む、反社会的ないやらしい“笑い”。
その斜に構えた暴力的な態度は時に切れ味鋭いのだけれど、反面、幼稚の一言で片づけられてしまう危険性も孕んでおり、社会に出た一般的な大人が本来許されるべき態度ではないのかもしれない。とは言え、中原氏の場合、妙に処世術に長けたところがあり、そこがただの偏屈者とは一線を画しているのでしょう。
さて、そろそろ本書の内容に触れてまいりましょうか。
中原氏を知らぬ人ならそのタイトルにまず面食らうことでしょう。
表題作『子猫が読む乱暴者日記』に始まり、『十代のプレイボーイ・カメラマン かっこいい奴、うらやましいあいつ』『デーモニッシュ・キャンドルズ』『闘う意志なし、しかし、殺したい』『黒ヒゲ独身寮』『欲望ゴルフ ホール・イン・ワン』『貧乏だから、人間の死肉を喰らう』。
いかがでしょう?もうこのタイトルだけでお腹いっぱいになりませんか?
私の読み方は、これらを書いている中原氏を想像しながら、その本音らしきものが露呈する瞬間や分裂病患者じみた展開に一喜一憂しているのですが、いわゆる“良い読者”ではないのかもしれません。しかし面白いのだから仕方がない。
SPA!で連載中の『エーガ界に捧ぐ』だって一番面白かったりするのが呪詛めいた石原慎太郎都知事への暴言や、自身の不遇を嘆くくだりだったりするのだから困りものです。
要するに中原昌也という人そのものが一つの表現媒体として完成の域に達しており、極端な話もう何をやっても程度の差こそあれ“中原昌也”なんですね。で、大抵の場合それは面白い、と。
例えば表題作『子猫が読む乱暴者日記』のこんなくだり。
“「俺は今まで誰にも無視されたことはねえんだ!」
山田の拳が飛んできた。
「止めろ!」と俺は叫んだ。
それ以来、俺と山田は友達になった。”
もう意味が判らない。私はここで吹き出しました。
終始こんな調子で、それが『うわさのベーコン』(猫田道子著)みたいな天然ではなく、意図的に構築されているという事実に戦慄すらおぼえる。
どんどん行きましょう。
『十代のプレイボーイ・カメラマン かっこいい奴、うらやましいあいつ』から。
“毎日絵を描き、ギターを弾き、ノートに自作の詩を書き溜め、夜空を天体望遠鏡で観察し、パジャマを着て寝る前には必ず『一日二十四時間じゃ足りないんだ』とつぶやいて壁を殴ったり蹴ったりしていた。”
これって完全に山田かまちを揶揄してますよね。
さらに『『闘う意志なし、しかし、殺したい』のラスト。
“無意味な争いも、憎しみで精力を消耗するのもバカバカしい。もともと人間はそんなことに参加しなくとも、常に身体にも心にもある種の痛みを感じている。その苦痛を乗り越えて、新しい意識を作り出せ。”
この白々しさったらたまらない。こんな投げ遣りに結ばれた小説はなかなかありませんよ。仮にも自分の作品なんですから、それ相応の愛着はある筈なのに、こんな乱暴に終わらせるんですから、並大抵の覚悟じゃなきゃとても真似出来ません。
もう枚挙に暇がないのでこのへんにしておきますが、事象に対するアプローチの仕方こそ違えど、どこか寺山修司さんの系譜に連なるような気が個人的にはしています。
この説にあまり自信はないけれど。